新譜「VIENTO」発売!

11月 November

9日(土)

お茶の水ナル
| 03-3291-2321 | 19:00~
布施音人(p) 小牧良平(b) 小松伸之(d)

10日(日)

吉祥寺サムタイム
| 0422-21-6336 | 19:00~
続木徹(p) セッション

15日(金)

赤坂 dot & blue
| 03-3568-3188 | 19:30~
坂井奈々香(tp) クインテット

20日(水)

壱岐坂ボンクラージュ
| 090-4391-9319 | 19:30~
片倉真由子(p) 小牧良平(b) 小松伸之(d)

23日(土)

横浜上町63
| 045-662-7322 | 15:00~
w/ 東海林由孝(g) 小牧良平(b) 山崎隼(d)

30日(土)

町田ニカズ
| 042-729-8048 | 19:30~
w/ 元岡一英(p) トリオ


Mabumi Yamaguchi

|Soprano & Tenor Saxophone 山口真文|
1946年9月1日、佐賀県唐津市生まれ 中学校のブラスバンドでトロンボーンをはじめる。
慶応大学入学と同時にあこがれのサックスを手にし、KMP NEW SOUND ORCHESTRAというジャズのフルバンドのサークルに入会。サックスとジャズ喫茶通いと麻雀の4年間を過す。卒業後、半年程ヤマハ音楽振興会に勤務するが、ミュージシャンの道を志し、1969年、故成田勝男氏がオープンさせたばかりのお茶の水ナルや当時さかんにライブを行っていた渋谷オスカーなどで活動を始める。 その頃の仲間は板橋文夫(p)つのだひろ(drs)古沢良治郎(drs)益田幹夫(p)古野光昭(b)関根英雄(drs)等であった。
1970年、川崎瞭(Guitar)クインテットで本格的にピットインやタローにデビュー、この頃はまだアルトサックスを吹いていた。1971年、ジョージ大塚(drs)に抜擢され、アルトからテナーに転向、大野俊三(Tp)大徳俊幸(p)古野光昭(b)からなるジョージ大塚クインテットは各地で大好評を博した。 1974年、ジョージ大塚クインテットを退団した後、自己のカルテットを結成、ライブハウスを中心に活動する。この頃のメンバーは土井一郎(p)坂井紅介(b)桜井郁雄(b)関根英雄(drs)等であった。 1976年に初リーダー作「アフター・ザ・レイン」を発表。二作目の「リー・ワード」を出した1978年には、{新宿ジャズ賞}を受賞した。
また1976年には故鈴木宏昌(p)の新グループ結成に参加。このグループは当初<コルゲンバンド>という名前で、松木恒秀(g)岡沢章(e-b)市原康(drs)という売れっ子スタジオミュージシャンの集まりであった。後にドラムスが渡嘉敷祐一に替わり、1979年CBSソニーからアルバムを出すのを機会に<ザ・プレイヤーズ>と名称を変更、当時のフュージョンブームの中でも超人気バンドであった。
1978年音楽上の師匠であるジョージ大塚氏のニューヨーク録音盤「マラカイボ・コーンポーン」の発売に合わせた日本コンサートツアーに参加した。他のメンバーはケニー・カークランド(p)ジョン・スコフィールド(g)ミロスラフ・ヴィトウス(b)という超豪華メンバーで、大きなカルチャーショックを経験した。 1981年ニューヨークで、ケニー・カークランド(p)ミロスラフ・ヴィトウス(b)トニー・ウィリアムス(drs)をメンバーに「MABUMI」を録音、これを機に<ザ・プレイヤーズ>を退団し、再びジョージ大塚の新グループ<マラカイボ>に加入し、1986年まで演奏と作曲に活躍した。 1987年、故日野元彦(drs)らと「SQUAD」を発表、その後佐藤允彦(p)辛島文雄(p)向井滋春(tb)等幾多のミュージシャンとセッションやレコーディングを重ねる。
2005年と2009年には佐藤允彦グループでドイツのメールスジャズフェスティバル、オランダのノースシージャズフェスティバルにも出演する。
現在は自己のカルテットを中心にお茶の水ナルをはじめ、各地のライブハウスに出演している。